月別アーカイブ: 2007年7月

先生の日(武術)

金曜日の武術の先生の日でございます、午前中は漫画キャンプのアシスタントで
ございましたが、日本食のレストランにいきまして、子供らが日本語で
オーダーして「水ください」とウエイトレスのネーちゃんに、これでもか
というぐらい水を注がせます、明らかに営業妨害で少し心が痛みますが
やもおえないのでございます。

さて、最終の漫画キャンプが終わり、満身創痍での武術の先生でございます。
17stのダンスフォーラムって場所ですが、フェイゼルと違って環境が良い
ですな、練習にも熱が入るのでございます。

基本練習にスタンス系とコンビネーションを中心に進めます、特に
問題ないでしょうか、つづく飛び技系ですが、ロータス系の技にて
1つコツを教えましたら、何人かの生徒はツボにハマりました
1人は完全にものにしましたな、もう1人も明らかに良くなりまして
ただその一言で技の幅が広がったという好例でございました。
彼らは一生忘れないでしょう、笑

個人練習に移りまして

形意拳の対打です、これは二人一組の型です。
およそ1/4が終りました、息も合ってきたのではないでしょうか
来週は一つ進みましょうかね。

蟷螂拳です、まだ身体が長拳に染まってますかね、型に合わせて身体の
動きを変えないといけません、なかなか難しいかな、もうちょっとかかるかな。
力を抜いて、動作を軽く、俊敏に動くのですが、云うは易しやね。

青龍刀、ちょうど半分の箇所にきましたでしょうか、こちらの青龍刀の型は
飛び技系が増えたので、なかなか難しいかな、動きはよくなってきてます。
もうすこし柔らかく動くとよくなるでしょう。

青龍刀、こちらは前のコンポーサリーですね、始めたばっかりですが
それほど悪くないかな、青龍刀の基本練習をがっちりさせたのが良かったな
来週はもうちょっと進めましょうかね。

こちらも青龍刀ですね、こちらは新しい方のコンポーサリーです、
1/4まできましたかね、次は飛び技に入ります。こちらも基本練習を
がっちりさせたので動きは悪くないでしょう、来週は最初の山場の
ジャップフロントそしてトルネードが入るからこれをどうさばくかが
課題になるでしょうか。

「漫画キャンプ」ラウンド2

“konnichiwa” 朝からブルックリンの高級住宅地内でワタクシの
スットンキョンで少々高めの声がこだまします。

二週間ぶりに始まりました、「漫画キャンプ」でございます
本日ワタクシ一人の先生でございます、アシスタンで先生していたのとは
緊張感が違いますが、翻って漫画の先生ですが絵心はございせん
子供たち相手に日本語の先生でもございます、おまけに着付けもいたしますが
それもしたことがないの「ないないだらけ」のハットトリックでございます
こんな姿を10代の頃一緒に悪さした仲間が見れば目をパチクリさせるに
違いありません、なんせ夜中にすることがなく改造原付バイクにまたがり
ダイエースプレーで氷室京介を気取った輩らが自販機の前でたむろしつつ
安くてアルコール度数の一番高い「薩摩白波」をラッパ飲みし、
これでは酔わんと、上向いて走ってわ、息を切らしつつ
「こんで酔ってきたわ」うそぶいていた、なんとも痛い小僧っ子な
そんな自分でございました。

「それでは、みんなで漫画のヒーローをイメージして描いてみよう〜」と
生徒は白人のお金持ちの子供らでございます、とまあ本職は武術の先生で
もありますので、媒体は変わっても教えるという行為はかわりませんで
なんとかなるものでございます、子供に教える場合は基本的に全褒めで
ございます、「あかん」「だめ」等はいいません、「すばらしい」
「美しい」「クール」で会話を進めます。
子供らの可能性の芽を摘んではいけません、思うがまま、なすがまま
これが一番良いのです。

一段落したら、今度は日本語の先生でございます。
みんなで一緒に”konnichiwa”「こんにちわ」
さあ、元気よく
“konnichiwaaaaaaaaa”「こんにちわ~~~~~」
“very goooood”「大変よろしい」

今度は自分の名前を日本語で書いてみよう〜。
そんあこんなで日本語の先生をするわけでして
こんなことなら妹に外国人に教えるカリキュラムの本を
送ってもらうのやったと思うのですが、まああんまり
細かいことはいいませんのでええかいなっと
(妹は日本で外国人に日本語を教えてるのかな、今もかな)

それが終ったら日本茶の飲み方、着物の着付け、途中で
武術の練習と何じゃラホイで、終ったらクタクタですが
子供らの笑顔がいいじゃありませんか、まあほんまに
何でもするもんですな。

夏だキャンプだ「漫画キャンプ」3

午前中は加世田先生の「サムライ」レクチャーから始まります。
時は12世紀〜
なかなか張ったりもいたについてきて風格すら感じれます。
次は将棋のレクチャーです、駒の動かし方などです。

お昼の時間になりますと、子供らは日本食を食します、今日は近所に
住んでいる日本人のおばあさん、ノリコばあさんが女王の家にやってきて
ちらし寿司やら、そばなど作ってくれました、ありがたいことです。
このノリコばあさんっていうのは何でもパークスロープに30年ぐらい
住んでいる矍鑠とした80歳ぐらいのばあさんです、英語が片言ですので
ワタクシが同時通訳をいたしますが、耳が遠いのと相まって
とんでも同時通訳になっていたりしますが、今のところこれといった問題が
あとから発生しておりませんので、通訳は上手くいっているのでしょう。
ブルックリンで英語が片言で身よりがない日本人のばあさんを見るに大丈夫かな
っと心配はしております。

でこのマンガキャンプの子供らは食するのに色々いうわけです、ベジタリアン
だから、これは喰えん、魚はアレジーだから、喰えん、これは旨くない等
お前らガッツで喰わんかいっと、気力で腹12分目まで持ってこい、そこだけ
tsunami小林を敬えっと

折角、80過ぎのばあさんが作ってくれたのをウソでも旨い旨いっと云えんかっと
「お前ら残さず飯を喰わんか」っとのど元まで出かかって「アレジーは大変やな」
っと相づちを打っているわけです、しかしベジタリアンと云いつつ
「お前、野菜も喰わんやんけ、ピザばっかりかい」っと
(この飽食時代の申し子たちめ)っと心の中で叫んでおるわけです。

残さないで飯を喰えっと云われて続け、「今日は焼き肉やからあ〜」っと
急いで家に帰ると焼き肉がハムやったりとそういう幼少時代で
まずかろう、旨かろうは、二の次なのです、残さず食べるのが礼儀なのです
逆にこれは不味かろうっと思うものには、これはいけるなあ〜っとあえて
云ったりするのが、それが「サムライ」なのです、武士は食わねど高楊枝
の精神論は現代っ子には届かないのです、それはあたかもウチの親父さんが
初めて家で電動鉛筆削りを見て、こんなもん買わんとカッターで削れっと
憤慨していたあの感覚に近いだろうっと思う今日この頃でございます。

夏だキャンプだ「漫画キャンプ」2

西日を浴びて引き上げる子供たちと日本語教師兼武術講師のワタクシが
ブルックリンの高級住宅地の一室に戻り、引き続き日本語の勉強をします。
konnichiwa, sayonara等の挨拶から、今度は日本食のレストランで
オーダーするやり方を教えます、とりあえず「〜下さい」を多用したら
問題ないっと子供らを手玉に取ります、そのうち一人の白人のガキんちょが
cucumber(きゅうり)は何でカッパっていうのやっと聞いてきます。

まずカッパの説明をしないといけません、ジャパニーズモンスターで
川に住んでいて、キュウリが好きで、相撲も好きやなで
頭に皿を乗せてて、皿がドライになったら死ぬ。

今思うにハチャメチャな説明ですが、いきなりカッパについて聞かれて
カッパの知識などなくワタクシのCPUでフル稼働させたら、上記のような
説明になってしまいました、がここですかさずフォローを入れます。

明日、カッパマスターの加世田先生が詳しく教えてくれるからっと
何とか逃げ切りました。

つづく…………………….

夏だキャンプだ「漫画キャンプ」in ブルックリン

今日は今年一番の暑さだったニューヨークです。

「漫画キャンプ」って何じゃらほいと思われる方々が多数を占めると
思いますが、要は子供らが1週間、講師付きで漫画を楽しく勉強しようと
いう企画がガーナの女王の元、立ち上げられまして、そんな漫画キャンプ
なんて来る子供らがいるかいっと、タカをくくっていたワタクシと
加世田君がきっちり講師陣として子供らに教えることになりました。
(そろそろ本気で仕事を選ばないといけないと思いますが)

ちなみに米国は日本の漫画がブームでございます、この仕事を請け合うまで
全く知らなかったのですが、「Naruto」や「One peace」人気らしいです。
加世田君は「北斗の拳」のラオウの生き様を伝えると息巻いてましたが
自分は残念ながら長らく漫画を読んでおりませんで、最後に熟読したのが
たしか「浪速金融道」だったと思いますが、白人のガキらには全く届かない
でしょう、僕がどれほど力んで肉欲棒太郎の生き様を伝えようにも
全く不可能な作業かと思われます。

カリキュラムの方は漫画ばっかりっというわけにもいかず、自分たちで
衣装を作ってコスプレをしたり日本の文化を伝えつつ、武術を教えつつ
日本語を教えつつ、最後に侍と忍者のデモンストレーションという
また無茶苦茶なカリキュラムでございます、大丈夫かと思われた
方々もいるかと思いますが大丈夫ではございません、非常に痛々しいです。

初日は現地に着いて女王から子供に教えるミッションが下りまして
「公園で武術を教えながら日本語も教える」っということでしたが
人間追い込まれたら出来ない事がないのです、西日を受けながら子供らは
汗をかいてさわやかな笑顔で日本語を唱えているのです。

つづく……………………